ゲーム開発における失敗するに決まってるプロジェクト問題
 俺は開発中プロジェクトの進行具合を見ればその後の成功失敗をわりと当てることができる。(偉そうに出たが、開発者の何割かは息を吸うようにこれをやる)
 数日一緒に仕事をすれば確度はもっと高くなる。

 美味しんぼにおける、「天ぷらを揚げる前に、上手い天ぷらをあげる職人が分かるか?」という奴だ。これのチーム版。

 なぜそれが解る人と解らない人が居るかを説明する。

 犬は嗅覚の世界で生きていて、鳥は視覚の世界で生きている。お互いの世界は理解することができない。

 ゲームの開発現場には、犬、鳥、トカゲ、深海魚、ナマケモノと各種種族が入り混じっているので、ある属性の人には別の属性の人の重要な事象がまるで見えていない事がある。犬の世界は鳥には分からないのだから。

 例えば日本人は、昔、青色と緑色は同じと扱っていた。どうでもよかったのだろう。
 砂漠の民はラクダを表す言葉が年齢性別によって細かく区別されているという。重要なのだろう。

 ある事象に対する解像度の高さ、レセプターの鋭敏さは、それに対する興味や感じている重要性によって違うのだ。


 自分が、ゲームの開発現場にジョインしたとき「え、これ**のスキル持ちがまるで足りないじゃん、これでゲーム完成するわけないじゃん」等と思うことが往々にしてあるが、それがつまり彼らには最初からそれが見えていないので必要性が理解できないのだ。

 エンジニアとデザイナーとプランナーを人数揃えて、はいよーいドン! でゲームが完成するわけがなく。
 開発は開始できるが、間違いなく途中でズルズルいくし、完成しない場合がある。

 それぞれの職種にもいくつかの種類があり、ある種のタイプの人が居ないと回らない、というのを把握しないといけない。

 犬のいないチームは、犬の仕事を誰も見つけないので、その問題が解決されないのだ。
 ついでに言うと、絵の下手なデザイナー、コードの汚いプログラマ、仕様書がまともに描けないプランナーなんてのも普通に居る。大人数のプロジェクトというのはそういうものだ。
 そりゃ、金の計算のできないプロデューサー、ディレクション出来ないディレクターが居ても不思議ではない。

 俺だって、音とお金の計算と、人間性はさっぱりだ。

 そんなわけで、プロジェクトを成功させるために完全にオールスターキャストを目指す必要はないがそこを補える別の職域の人など、なんとか全体の体裁を整えることが重要になる。
 「このチームならゲームが作れる」「このチームには**と**を足さないと無理だ」「ここは欠けてるが俺が補える」「このチームで作れるのはここが限界だからそこで勝負になるものを作る」みたいな整理をする嗅覚が重要だと思っている。

 というか、最初は皆この能力があるものだと思っていた。
 「なぜこの危険な状況のままプロジェクトを動かすのだ」とか感じていたのだが、それぞれの人がぞれぞれ別の能力持ちなので、自分の能力に関する所以外にはてんで弱いとか興味が無いとか、気づけもしないのであった。

 そして自分は、開発パイプラインを整えるとか、企画を無理くりドライブするとかが守備範囲なのだが、わりとレア能力だったらしくある種のヤバさ(チケットシステムがちゃんと回ってねぇとか、WBSの粒度がそろってねぇとか)に敏感だが、そんなところに興味を持っている人は少ないのだ。

 これは厨房を見て旨い料理が作れるかどうか、みたいな能力である。(ゲームの全ては美味しんぼで語れる)

 ここで重要なのは、見えてない人には何も見えていないので、その人が講じる解決策もまったく的外れになる。教えてもわからぬ。見えてないのだから。
 前段でも説明した通り、犬は匂いでしか世界を見ていない。視力はオマケである。それに鳥が視界の重要性を語っても通じるわけがない。鳥にだって犬の嗅覚の話は分からない。

 大手開発会社の有名開発者が独立した後にパッとしないということがあるが、そういう人は結局ゲームにおける一面しか担保していなかったのだ。犬の部分、トカゲの部分、深海魚の部分を他の誰かがカバーしており、それこそがチームの強さ、組織の強さ、会社としての強さだった可能性がある。

 今のゲーム業界での日本の地位の低下も、この「巨大プロジェクトを回すヤリクチ」がヘタクソというのが強く響いていると感じる。みんな自分の世界からしか物を見ていない。
 当然、自分もだ。
 自分はクリティカルなところの解像度が高いというだけである。ゲームにはクリティカルじゃないが重要なところというのは沢山あって、そこはそこでそういうことに敏感な受容体を持った人が必要である。
 ウケるフレーバーとかな。分からぬ人が口をはさんで悲惨なことになる。人気の作家や声優に強いなんてのも、開発の成否には関係が無いが、プロジェクトの成否には占めるウェイトがそれなりにある場合がある。

 一つの回答として。
 アメリカの映画プロジェクトが、キャスティングするだけの人、タイムキープだけの人、女優別メイキャッパー、セットを作る人、バラす人、ライティング、ロケハンと、やたら細分化しているのは有名だが、あれはやはり見事なもので「職域と名前と責任と権限」が与えられていれば寄せ集めでもなんとか映画は成立するのだそうだ。

 日本はそのあたりの職域が曖昧で、よく言えば職人気質、悪く言えば属人的、もっと悪く言えば因習によって回されるので。
 結局プロジェクトがドライブしないということはある。
 日本におけるプランナーという職種のオールマイティ具合などは良い面と悪い面を併せ持ってカオス難儀である。
 業務範疇と責任が明確ではないというのは、振舞い方にも戦い方にも工夫の仕方にも悪い影響が出る。
 結果的にプロジェクトは失敗する。
 よしんば成功しても、成功の原因を特定しにくい。

 ふぅ。
 一息ついて。

 最近複雑な座組の仕事が多い。版権はA社で、開発B社、責任C社で、お金はD社、グラフィックはE社。みたいな奴。
 小規模開発では利益が出しにくくなり、巨大な開発では1社でまかなえないし、大抵のステークスホルダーは安心を求めて保険を掛けるように船頭を増やしてプロジェクトを構成する。

「ヘイ! 知ってるかボーイ!」
「クソゲーへの道は善意と思い付きで舗装されてるんだぜ!」
「それに加速を付けるのが、保険の重さ、と船頭の多さだ!」

 自分はプロジェクト立ち上げからかかわることが多いので、ジョインして「うっ!ヤベェ!」と思った回数は少ないのだが、他所様のプロジェクトの報告書や、KPTミーティングにゲストしたりしてると、これはヤベェ! そして誰もヤバさに気が付いてねぇ! 気が付いても立場を気にして言えねぇ! 座組を弄らないと頓挫するぜ! みたいなのはよく目の当たりにしてドキドキする。
 ちょっと前にも某社のDと喋ってたらそういう案件がぞろぞろ出てきて背筋が寒い。

 そうでなくてもこの先、ヤベェ座組は大量生産されるだろう。

 俺たちは生き残るために、自身の嗅覚を鍛え、他者の嗅覚をリスペクトして生きていかねばならない。
 そして鼻が利かないくせにクチをはさむ奴には…。

 くわばらくわばら。
(若い人は知らないらしいが、落雷を避けるための呪文ですよ→くわばら)


これは俺がいつも言っている、

開発は座組で決まる。

という奴だ。

このblogでもちょくちょく書いてるし、twitterなどでもしょっちゅうつぶやいてる。
電ファミさんでも書かせてもらった

今回の話は、座組がおかしい事の、さらに細かい所の、その嗅覚の話。
解っていない人が居たっぽいので追記した。

2018/11/15(木) 00:16:32| 固定リンク|仕事| トラックバック:0 | このエントリーを含むはてなブックマーク|
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