島国大和のド畜生
■次世代くん ■プログラム ■アンテナ ■LINKS ■過去ログ倉庫---
amazon_logo.jpg スポンサーリンク
映画 レディ・プレイヤー1 感想
画像は原作小説。

 レディ・プレイヤー1 を見たので感想を書く。
 非常に面白かったのでお勧めする。

 ちなみに劇中に出てくるVRゲームに関してはこちらで感想を書かせてもらった

 映画の作りは、雑だし、かなり雑だし、本当に雑なのだが、きっちり面白く仕上げるスピルバーグは見事である。
 80年代ポップカルチャー好きはみな見に行くと良いと思う。
 もっと言えば、全ての、かつてゲームキッズ、ポップカルチャーキッズだった人たちが楽しめる映画だと思う。

 というか40代の日本人が一番面白いんじゃないのこの映画;
 レオパルドンとウルトラマンが出ないのは大変残念ではあるが。

以下ネタバレを書くので未視聴の人は回れ右で。
念のため。
以下ネタバレを書くので未視聴の人は回れ右で。
■あらすじ
 荒廃した未来。人々は革命的VRネットワークゲーム空間「オアシス」に唯一の楽しみを求めていた。
 オアシスを開発した「ジェームズ・ハリデー」は死去の際、そのVR空間にイースターエッグを隠したことを明かす。
 イースターエッグを最初に見つけたプレイヤーには、ハリデーの遺産をすべて与えるという「コンテスト」が開催されたのだ。

■感想
 いやもー雑だし、ほんと雑だし、すごい雑なのだけど、そんな雑さはほっといて押し流す力量はいつものスピルバーグ節で凄い。
 どうせ本人はこれっぽっちも信じていないであろう、人生訓や好転した未来みたいなのを乗っけて映画として綺麗に、万人に向けて面白くしていく、小技のヒキダシの多さに舌を巻く。
 誰にもあるような人生のシーンをちょいちょい挟んで記憶の扉をコツコツ小突いていく旨さと、ばかばかしいコネタで間を持たせる周到さ。
 そしてここぞとばかりに活躍する巨大IP。

 80年代ポップカルチャー(小説より映画は最近のIPが多いが)を気持ちよく振り回していく。

 似たようなネタで撮影しても、押井守だとアヴァロンになるところを、こうも軽快に大衆向けに捌いてゆく。
 押井守が撮影したら、絶対にVR世界から帰ってこないだろう。(だからこそ彼のファンは強固だ)

 そしてスピルバーグのこの割り切りが大衆向け映画を短期間でザクザク撮影して大ヒットさせる男のすさまじい手腕である。
 そのうえで、実は大衆向けに殉じていない、ギークな小技がちまちま隠されている。

 しかも撮影期間は1年ちょい。IPの契約の方がよほど時間がかかっている。見事である。

 すげぇ。面白い。
 雑過ぎるのが気になるにせよ、そんなものを気にして面白がれないのはもったいない。

 ただこの面白さは、自分が直撃世代であることと、ゲーム開発者であることが大きく響いていると思う。
 正直序盤はあまり面白いと感じていなかった。ゲーム開発者の話が面白かったのだ。

■ゲーム開発者としての感想
レディプレイヤー1は 開発者の生涯の物語でもある。
 開発者の人生がそこかしこにある。そこには俺が経験したシーンもあれば、してないシーンもある。経験していないが経験したことがありそうなシーンもある。
 歌謡曲の作り方として「誰もが経験したような、誰の心にもあるような、あまり状況を特定しすぎないシチュエーションを歌う」というものがある。もっとも感情移入を促進する手法だ。
 レディメイドの歌がまるで自分の事をうたっているように感じるというアレだ。

 開発者としての記憶の扉をゴンゴン小突きまわされる。
 おそらく、監督が想定した以上に小突き回せれる。感動するような作りの映画ではないのだ。
 だが、ぐっときてしまう。

 ゲーム開発者としては、ああいう愛されるゲームを作りてぇという欲求はつねにくすぶり続けている。
 そして、そこの扉をガンガンと叩かれてしまった。



2018 4/30 追記
 そろそろガrチガチのネタバレを書いても許される空気なので書く。
 以下バラバラと散文的に。
 もう見終わって自分の中の咀嚼も終わった人向けの俺の独白である。

・俺自身にとってすごく良い映画だったのだがこの映画のストライクゾーンは狭いと思う。40代以上ではないか。

・ゲーム開発者としてのハリデーは色々とゲーム業界やIT業界の人のあれこれのイメージなのだろうけれど、ゲーム内でのアバターはアバタール(ウルティマオンラインの徳の化身)を思わせる。

・ハリデーの開発者としてのイメージ、極度にシャイで対人が苦手で、それでいて茶目っ気がある。というのは自分のような開発者がつい感情移入してしまうアイコンをそろえている。
 かれのエゴ、イースターエッグを隠す顕示欲も含め、非常にありがちで、劇中にプレイされたゲーム、アドベンチャーの開発者クレジットを言うに及ばず、ああいう感じ。自分も遥か昔、某ゲームのキャラクタイベント中長時間放置するとめったに使われない顔グラフィックを表示するというコネタを仕込んだことがある。バレなくてよかった。(テストで入れて、外すの忘れてた)

・だからこそ、ハリデーの、プレイヤーに対するセリフは「*****(流石に書かない)」であり、まったくその通りだと思う。
 そして、俺もあのように遊ばれる、愛されるゲームを作りたいと思う。

・ついで話を描くと。
 あのアドベンチャーはほんとガチのクソゲーのためガチプレイでクリアした職員の苦労に拍手を送るべきと聞いた。
 いくら俺がおっさんでもAtari 2600のゲームを実際にプレイしたことはない。
 ちなみに劇中では世界初のイースターエッグとされているが、どうやら1979年のコレより、1977年のStarship1の方が世界初だろう。(家庭用とかいうとまた別だが)
 ちなみに日本では、隠しキャラとかウルテクとか裏技とかまぁいろいろブームがあったので、偉いことになっている。余った画像エリアに隠しメッセージ仕込んで十数年越しに見つかった人もいる。

 ちなみに俺が仕込んだのはまだバレてない。それ以外に仕込んだのはちゃんと仕様書に書いて仕込んだのしかないからバレても平気だ。これが権限の乱用という奴だ。でもイースター感はないよね。

 ハリデーの仕込んだイースターエッグが黙って仕込んだだけあってバグって途中停止したら笑えただろう。
「QA不足です!」って

・個人的に映画序盤、ハリデーのキャラが立ちだす前はずっと懐疑的に見ていた。

・レースゲームで後ろ向きに突っ走れば隠しコースが現れる、なんてのは、ゲーム世界を舞台にしたから出来る仕掛けであり、インディージョンズのワクワクするダンジョン(見えない通路や重さがトリガーになっているハリソンプレスボール)と違い、映画だからのウソではなく、しょせんゲームだからのウソみ見えた。
 まいったなこれはなかなかノリ難いぞと感じた。
 こういう理屈がありならなんだってやりたい放題なのだから。
 今後どんなに理不尽な状況や、危機一髪な状況になっても、なんでもアリで乗り切れてしまう。
 せめて、高速だとあたり判定抜けがあるとかのほうが納得感がある。(おっさん臭い話だがそういうゲームは割とある)

・その後もハリデー年鑑で、ハリデーの過去の行動や発現を見てはゲームをするという、なんとういか元ネタが制作者の脳内だけで完結している感じがとても残念な感じを感じる(大事なことなので3回)。ここは今でも好きになれない。
 どんな空想的な物語でも、その世界でついていいウソの幅というのがあり、これはゲーム内だからというエクスキューズは強力過ぎてノリ切れないのだ。
 自分がその他のVRゲームネタに乗り切れないのと同じ理由だ。
 ソードアートオンラインにせよ、オーバーロードにせよ、ゲームのルールの説明を延々聞かされている感じがする。実際に遊ぶゲームだってルールなんて読まないんだから、遊べない物語のルールの話を延々されても困る。
 そのくせ説明されていなかった仕掛けで危機が回避されたりする。

 もちろんだからこそ、レディプレイヤー1ではリアルの方でプレイヤーが追い詰められていく状況を作り、アウトゲームとインゲームの危機を接続させて、そちらに意識を向かせないようにしていく見事な手腕だが。それにしたってノリ切れない。

・いくらかの人が、この序盤では鼻白んだのでないだろうか。

・じゃあなんで自分はこの映画を気に入ったのだろう。あちこちに書いたように特に制作者も意識していないであろう、ゲーム開発者としてのハリデーの在り方に、共感をこえて共鳴してしまう部分があったからだろう思う。
 これで開発してるシーンとかがあったらもっとヤヴァかった。

・ハリデーがゲーム開発者としての自分の琴線に触れるなぁと思いなおしてみてみると、冒頭の荒廃した未来の多重高層建築はカリカチュアされているとはいえ現在の団地や低所得者層住宅(イギリスとかの)だし、全員がVRで遊んでいるのはスマホなのだろうけど、ネトゲを必死やった事のある人はあの感覚は分かるはず。
 こちとらネトゲを作っていたことがあるので、心の中で「ぐわあああ」と呻いてしまう。

・2つの人生の物語がある。
 1つは、主人公のウェイドの物語。これは現在の視点だ。
 もう一つは、ハリデーの物語。これはすでに終わった記録だ。

 ウェイドの物語は、ボンクラがボンクラのまま成功を手に入れるという、世のボンクラにやさしいボンクラ映画である。
 ハリデーの物語は、成功を手中に収めたが、生きているうちに解毒が出来なかった男の物語である。
 伝えたいことがあっても、ゲームの中にイースターエッグを仕込むことしかできなかった男なの解毒の物語。
 そして、ハリデーの物語を解毒するのが、ボンクラのウェイドの物語なのだ。

・これは、解毒が終わらぬ、俺のような開発者には刺さるに決まってるだろう。参るわ。

・そして引用されまくったポップカルチャーは、ハリデーの趣味でもある。
 ギークvsスーツであり、糞の役にも立たないゲーマーがスーツに勝利する物語なのだ。
 だってゲームでの勝負だもん。
 そりゃ、ゲームキッズ、ポップカルチャーキッズの、実社会では生き辛いボンクラにはまばゆい。
 そして、スーツに雇われたギークも一緒になってギークの勝利を喜んでいる。これがギークである。社会性が足りない。
 非常によくわかっている。
 そして、じつはここまでのおぜん立てをずっと準備してくれていたのは、スーツであるハリデーの相棒だ。
 こんな幸福な関係があるか。それが不幸にこじれて終わったことを悔いていた。
 それを解毒する。

・もちろん不満もある。
 もっとうまく序盤を進めてほしいとか。
 あのオチはねーだろうとか。

・押井守なら絶対VRから帰ってこないと思う。
 これは、本当にそうだと思うし、ボンクラの救済&突き放しとしてはそれが正しい。
 リアルでは最後まで救済されないのがボンクラなのだ。それが救済されてしまうとそれこそ救済足りえない。

 リアルって素晴らしい、なんて話を語るならばVRは要らぬのだ。
 ウェイドは得た権利で、オアシス内で結婚式でも上げて、オアシスで幸せ!みたいにして、オアシスで楽しく暮らし食事しているカットで終わって、VRでプラーンとぶら下がってオムツして点滴で生命維持してるのを暗喩して終われば握りこぶし振り上げてる。(それもどうかと思う)

 もちろんそれをしないのが、ハリウッドの大衆向け映画の作法である。
 マトリクスだって誰がどう見たってあんなもん現実パートはどうでもいいのにあっちでケリをつけたがる。
 多くの客が安心して楽しめるにはそういう作法が必要なのだろう。
 原作に関しては未読の人の事も考えて言及を避ける。(最近読み直した。大分忘れてた)

・そういうわけで、この映画がブッ刺さるには、ある程度ゲームカルチャーとポップカルチャーに入れあげた経験がいる。
 いきなりシャイニングとか知ってると知ってないとではえらく違うだろう。

 そして、ハリデーの物語の、彼の子供時代の部屋。
 なにかこう、懐かしい記憶をノックされるあのライティング。
 聞くところによると、E.T.の子供部屋だそうだ。

 知っているもの、かすかに覚えているもの、分かり難いもの、覚えていないもの、サブリミナルふくめて、視聴者の記憶の扉を小突きまくるのだこの映画は。
 ハリデーが作ったなんでもありのVR空間と同じように、何でもありの映画であり、ただの何でもありに甘んじず小技を大量に使ってくる。

 記憶の扉をたたくというのは書いたとおりに物語の基本技法だが、それをここまであの手この手で乱打されるとは。

 そこで大変楽しめたし。リスペクトしている。

 こういう愛され方するゲーム作りたいものだ。

2018/04/26(木) 12:00:00| 固定リンク|日記| トラックバック:0 | このエントリーを含むはてなブックマーク|
ワークエリア
スポンサーリンク
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
COPYRIGHT © 2004 POWERED BY FC2 ALL RIGHTS RESERVED.