島国大和のド畜生
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ガンダムのリアル覚え書き
 最近、BGVに昔のガンダム(1st、Z、V、F91、ターンA)を流してたりするのだが。
 ガンプラ欲しさにデパートになだれ込み、将棋倒しになった世代の自分の当時の感覚を書いておく。

 ガンダムブームとは「リアル」ブームであり「リアル」は呪縛であったのではないかなというお話。
 感覚メモなので、他の人の、俺は当時こう感じていたという文章も読みたい。


■子供向けからティーン向けへのシフト

 1stガンダムは「子供向けのアニメをティーンが見ても大丈夫なものにした」というのがもっともエポックメーキングだと思う。
「もうお兄ちゃんになったんだから、アニメなんか見ないでよ!」
「これは戦争モノなんだよ!子供向けのアニメじゃないんだよ!俺たちハイティーンが見ていいものなんだよ!」
 という理論武装が各地でなされていたというのはそう間違った歴史感ではないと思う。

 ロボットプロレスアニメ(揶揄的にこう呼ばれていた)は、そもそも玩具を売るためのCMとしての番組なので子供向けで当たり前だった、解りやすい勧善懲悪とバトルによる爽快感。スカッとさわやか玩具買え。わかりやすい。
 そこをガンダムは当時のアニメファンのハイティーン化(ヤマトやライディーンで顕著)を受けて、制作陣はハイティーンを意識して作ったという。それが現在にも残るおっさんのガンダムファンを生むきっかけになると思う。どれほど名作であったとしてもローティーン向け娯楽をおっさんになってから楽しむのは難しい。
 もちろん、当時のスポンサーであるクローバーは超合金玩具を売りたかったわけなので制作陣と思惑は一致しない。
 ヤマトの戦艦プラモで莫大な利益を上げていたバンダイが次の商品としてガンダムに目を付けたのはかなり後の事となる。

■キーワードはリアル

 というわけで、ことさら「子供向けじゃないんだよ!」を強弁したい子供、中供(当時のサンライズでガンダムやアニメに熱狂する子供っぽい大人、ファン層を揶揄的にそう呼んでいたという)は、ガンダムに子供向けでない表現を求め、それが「リアル」であったように思う。
 そして、玩具を売りたいスポンサーとしては困ったものだったろうし、後発のバンダイにとっては美味しい状況だったのではないか。

 あの当時、とにかく「リアル」の大合唱だったのだ。
 本放送終了後、映画化への盛り上がりを、アニメ誌や模型誌がつなぎ、独特の状況があったのだが、それもまた「リアル」をキーワードにしていたように思う。
 リアルとカッコイイはほぼ同様に扱われ、当時の模型作例は、ハゲチョロ塗装や、マーキングに溢れていた。
 お話のリアル、物語のリアル、ガジェットのリアル、すべてがリアルであることが良いこととして消化されていた。
 リアルじゃないものにはなんとなく小理屈を付けて目をそむけた。Gアーマーとか、ザクレロとか。

 実際打ち切りによって、書かれ過ぎなった物語がそれに拍車をかけたと思う。
 ニュータイプの観念的描写(宇宙の海でアムロとララァがざっぱーん)もギリギリの量になったし、アムロvsラスボスギレンの一騎打ちが、オミットされたのはほんとうに良かった。予定通り放送されていたらこれほどのブームにはならなかったのではないか。

 また映画版でリアリティに問題がありそうな大気圏突入ビニールや、Gアーマーが改変され、背中のブースターで加速し足のバーニアで減速するなどの、スラスター描写が丁寧に追加されるなど、リアルを求める観客と制作陣の求める着地点が合致していたと思う。
 いや、ザクレロ好きだけども。

 映画版を終えて、ガンダムのすべてが消費された後も、ガンプラは堅調であり、新しく消費されるガンダムを求めたという。
 MSV(モビルスーツバリエーション)のような、本編映像作品に搭乗しなかったオリジナルメカや、カラーリングが商品になったわけで、そりゃもうとにかく「リアル」と唱えておけ。という空気だった。


■お話のリアル

 独立戦争を舞台にハイテクロボット兵器を用いた民間人から登用された少年兵の活躍を描く。
 冒険活劇に必須の少年たちの活躍を、なぜ彼らが活躍できるのかを、なぜなら軍人が足りない中で最新鋭装備を与えられたからとか、ニュータイプだから、といったエクスキューズを付けていく。
 ガンダムを開発したのは主人公のアムロの父テムであるが、これはマジンガーZの主人公兜甲児の祖父兜十蔵がマジンガーZを開発した、というロボットアニメの基本パターンの踏襲だが、あくまで技術主任的な位置づけや、ルックス、立ち振る舞いで、それらもリアルに着地させていく。
 実際のところそんなにリアルではなく、寓話的なのだが。ワキの固め方や当時のほかの作品と比べたときの、リアリティのヒキダシの量がハンパないので。ことさらリアルを感じた。
 当時は比較できる作品がそもそもないのだ。誰もロボットアニメにリアルを持ち込む気はなかったのだから。
 これが逆にその後のガンダムシリーズの足を引っ張っている気はするが、その辺はもっと後で。

■敵のリアル

 それまでのロボットアニメの敵は、ゴーゴン大公とか、暗黒ホラー軍団とか、ハニワ原人とかだったので、あくまでも子供向け、幼年向けだった。誰がどう見ても悪党で、人間でなく、殺してしまって良心の傷まないわかりやすい敵だ。

 宇宙戦艦ヤマトが、特異点、突然変異として、ティーン向けのアニメとしての成功を収めるが。(これも視聴率的には結構いろいろ言われているが)ミリタリーテイスト、SFテイストをまぶしてリアリティを獲得していた。それでも相手は宇宙人だった。

 そこに来て、ガンダムは敵も人間である。

人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになって、既に半世紀が過ぎていた。地球の周りの巨大な人工都市は人類の第二の故郷となり、人々はそこで子を産み、育て、そして死んでいった。
宇宙世紀0079、地球から最も遠い宇宙都市サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦政府に独立戦争を挑んできた。この一ヶ月あまりの戦いでジオン公国と連邦軍は総人口の半分を死に至らしめた。
人々はみずからの行為に恐怖した。戦争は膠着状態に入り、八ヶ月あまりが過ぎた。

 ガンダム1話のナレーションを引用した。あまりに見事である。大事な情報をぎゅっと詰めてある。
「移民させる」
 そう「させる」なのよ。要するに「棄民」なわけで。
 そして、オニール型の円筒形宇宙コロニーの絵とナレーションをダブらせ、その中での生活を想起させたうえで、コロニー落としの映像で戦争の苛烈さとSF的リアリティレベルを見せる。
 そして、敵となるのは、地球から最も遠いコロニー国家である。こいつらはコロニー落しをやるような奴らで、MSを沢山持っている。
 ガンダムからロボットアニメのキーワードになった言葉に「量産型」というのがある。それまでのロボットアニメは大抵一話に1機の敵が出てきてプロレス的バトルをやって倒して終わりという流れだったのだが、その敵が複数大量にズラりと並ぶ絵ヅラというのは、強烈だった。
 1stガンダムの一話でザク3台がサイド7に侵入するが、同型の敵ロボが最初から3台で攻めてくるって時点でかなり攻めてる内容なのだ。今となっては普通過ぎてアレだが。当時のインパクトたるや。

 当時、つい最近まで、アニメの世界では、デスラーが遊星爆弾で攻めてきていたわけだし。
 ガンダムの直前付近のアニメを例にあげると、ダイケンゴーでは敵はマゼラン帝国の獣骨メカだし、ダイターン3だってメガノイドだ。
 直後だって、ダルタニアスのザール星間帝国のベムボーグ、ゴーディアンのマドクターだ。
 ジオン公国軍というのは、それだけでぶっちぎりのリアルを担保した、というのが当時の自分の感覚だ。
 そもそも、敵としての描かれ方がとても振るっている。
 物語中盤、これがラスボスでござい、として現れたデギン公王はすでに三男ガルマを戦争で失って傷心中のパパでありもはやラスボスたる資格はなく、軍事的な実権は長男ギレンが握っているのであった。そしてそのガルマの死を国葬でもって戦意高揚につなげるギレン、という描き方がされ、主人公アムロはその中継放送を見て「これが敵」とつぶやくのであった。
 意図的に「ガンダムの敵はいままでのロボットアニメとは全然ちゃうよ」というのを示していると思う。

 1stガンダム以降、敵味方の混乱具合はもはや当然の有り様なのだが、やはり1stガンダムにおけるジオン公国の作りこみとその露出の仕方は素晴らしいと思う。ドズル、ガルマ、デギン、ギレン、キシリアと、その情報の順番も見事だし、その衣装やメカの意匠も分かりやすい。

 安彦タッチっで描かれた朴訥なジオン軍人は憎み切れない部分を持ち、ジオン公国に対して非常に複雑な位置にいるランバラル等のキャラクターは、シャアとセイラの敵国の王子と姫が身分を偽っているという、ベタベタなロマンスをギリギリなんとなくアリな位置に押しとどめる。

 成功したから「これが上手い!」と言えるが、わりと綱渡りの連続で、失敗してたら、こんなことやってるからだと言われそうな内容も多い。チャレンジャーだ。
 
■ガジェットのリアル

 そして、モビルスーツ、宇宙戦艦、スペースコロニーといった、SFガジェット群のリアルがある。
 敵として設定されたジオン軍がリアリティを持っていたからこそ、ガジェット群もリアルだ。よくわからんドリルミサイルやデスラー機雷を使ってこない。
 合体変形するガンダムを、コアシステムを使ったパイロットとコンピューターのサルベージ、および安く色々揃えるためのものという理屈を貼り付けて、トリコロールカラーだって試作機だから(これは劇中言及はない)と言ってしまえば、なんとなく通る。
 ザクレロ? 試作のMAの事なんかしらん。(試作であるという、言い訳をつけてあるのが見事)

 もともとロボットプロレスアニメは、超合金(亜鉛合金フィギュア)やジャンボマジンダー(大型ブロー成形フィギュア)といった商品が主体であり(ハンカチとかTシャツとかもあったと思うが)、ガンダムも超合金玩具(クローバーDX合体セット5800円)が出ている。実際のところ、わりと売上は好調だったという話もある。(クローバーにトドメを刺したのは、スラングルとダンバインと言われている。事実は不明)
 実際ガンダム自体は放送終了付近ではもうブームの兆しがあり、その後スポンサーとしてバンダイが参加し、ヤマトの宇宙艦隊プラモシリーズの後釜としてガンダムのMS群をプラモで発売したのだが、これが爆発的に売れてガンプラブームとなり、現在まで脈々と続いている。

 ガジェットのリアルさは、ガンダムを語るのに必須な要件だと思う。ガジェット売るわけだし。
 コロニー落し、ソーラレイ、ソーラシステムといったSF大仕掛けや、メカニックマンの描写などが、その世界の厚みを構築したし、ファンが深入りする隙作った。
 件のリアルタイプガンダムなどのキット(成型色を変えて、再度の低い暗いキットにコーションマークなどのデカールを追加したプラキット)が市場に受け入れられたこと、模型シーンでのリアル作例の盛り上がりなど、玩具商品としての新しい広がりを見せた。
 ガジェットのリアリティはキモになっていると感じる。

 あと、わかりやすさとリアリティのちょうどいいところに着地していたと思う。
 スターウォーズだって、帝国は丸くて反乱軍は直線だ。
 ガンダムだって、ジオンは丸くて連邦は直線。複雑すぎずわかりやすい。MSの数も抑えられ、一番乗り換えているシャアだって4台。他は乗り換えほぼなし。ボトルショウで倒されていくので、話が混乱しない。
 見た目のわかりやすさ、一話単位での話の分かりやすさ、そのためのデザイン、と非常によいバランスだったと思う。


■ガンダムのリアルの呪縛

 さて、リアルリアルと連呼してきたが。 
 当時をリアルタイムで知っている人はこの「二言目にはリアル」という状況を思い出せると思う。
 ガンダムシーンでは多くの人が念仏のようにリアルリアルと唱えていた。

 そしてガンダムはシリーズが作られていくが(だいぶ端折ったな)それらはリアルの呪縛にとらわれて大変そうに見える。
 リアルか否かという視点だけで後のガンダムシリーズをみるとこういう印象になる。

 Zガンダムは、物語のリアルのために勢力図がややこしくなり過ぎ、途中で整理しようとして描写がブレている。メカはリアルっぽさを追って線が増えわかりづらくなった。各種組織の構造がグダグダなのでメカデザインも混ざってしまっており、わかりにくい。


 ZZガンダムは、リアルの呪縛から逃れようと明るく楽しいガンダムを標榜したというが、市場に受け入れられず途中から路線変更をしている。リアルな戦争と明るい作劇というのはコンフリクトを起こす。
 Zではキラーエリートだったヤザンゲーブルがコメディリリーフになってしまうというのは象徴的でもあったと思う。

 逆襲のシャアは、なんかよくわからんサイコフレームで話が解決してるので、あるぇ?という感じだが、市場ウケは良かったのかな。
 ガジェットのリアリティは非常に突き詰められており、モビルスーツの運用のちょっとしたカットで多層的にそれらが語られる(シャアがサザビーに乗り込むシーンで、モノアイの構造や、コクピットの構造、そのサイズ感をさささっと説明してしまう見事なカットが、代表的。他にもバルーンや足裏のスパイク、核ミサイル、戦艦のサブ艦橋、カタバルト、ゲタ、とくどくならずに見事に説明していく)
 お話自体は、評価が分かれると思う。

 ガンダムF91は、敵が宇宙貴族主義、ガジェットがバグとラフレシアとリアリティレベルが低めに設定されていて、残念だった。
 実際は、かなり凝った仕組みと家族に焦点を当てたストーリーなのだが。
 タテツケのリアリティレベルがナニなので、ストーリーを楽しむ前にちょっとナナメに構えてしまう。
 ガンダムという看板を背負った時に視聴者が何を期待するか、という部分に対して「リアル」は呪縛となっていると思う。

 Vガンダムは、子供向けを意識したというが、リアルの呪縛視点から見ると、敵がマリア主義、ガジェットがビームローターとバイク戦艦と、小首をかしげる。
 SDガンダムの客層を取り入れたいのならば、ガチ戦争と相性悪いだろう。

 というわけで、リアルか否か視点だけでみると後続作品はかなり微妙なものが多い。
 物語の良し悪しに、リアルであるかないかは関係なく、物語の必要とするリアリティが保たれているかだけでいいはずなのだが。
 そもそも1stガンダムが「子供向けじゃないんだよ!だってリアルだろ!」という受け入れられ方をした経緯があるので。

 そんなわけで、ガンダムシリーズにはどうしても「リアルかどうか」という視点が付きまとう。

 ポケットの中の戦争、0083スターダストメモリー、第08MS小隊、ガンダムUC、などは、OVAというマニア向け市場な事もあり、求められるリアルに沿った作りになっていると思うが、ある種同人誌的に感じる。原点を超えることはできない。最初からスキマ埋めに徹している。

「あのガンダムのヒットをもう一度」
 というスタンスならば、そんな縮小再生産を繰り返すわけにもいくまい。

 ガンダムのリアルを心地よくぶち壊してくれたのは、GガンダムやWガンダムだと思うが。
 当時の受け入れられ方は結構難しいものがあったと思う。Gガンダムが本当に見事に「ガンダム顔のロボが出てるだけだ。後は気にするな」というぶち上げ方をしたので、以後のガンダムは肩の荷が下りたとは思う。


■まとめ

 この文章で1年分ぐらい「リアル」って書いた気がする。
 この場合、リアルは「ごっこ遊び」だと思う。
 もうちょっと正確に書くと。宇宙世紀のガンダムの場合、物語やガジェット、人物を、その『ごっこ遊びに導入していいかどうか』の判断が「リアルかどうか」になっているのだと思う。
 ままごとで遊んでいる時に、宇宙人が帰宅したら台無しだろうし、怪獣ごっこやってる時に、最強過ぎる怪獣を演じられては興醒めだ。ウルトラマンだって3分で帰らないと面白くない。
 ごっこ遊びは、お約束の中でどれぐらい面白いことをやるか、という競争でもあるので、お約束を踏み外されると楽しめないのだ。

 リアルには物語に応じたリアルがあり、ドラえもんにはドラえもんのリアル、サザエさんにはサザエさんのリアル、マジンガーZにはマジンガーZのリアルがある。いいんだよあしゅら男爵がなにものでも面白ければ。
 ままごとや、怪獣ごっこの延長だ。
 
 1stガンダムは「子供向けではないのだとリアルをプッシュしそういったものに飢えていたユーザーが一斉に飛びついた」ので。その系譜のガンダムがリアルを過剰に期待されるのは仕方がないと思う。
 模型シーンで語られたガンダムは、映像作品よりもさらにリアリティを追ったし、サイドストーリーもそうだ。

 そういう「受け手側の期待」と「作り手側のやりたいこと」もズレてるし、スポンサーのやりたいこともまた違う。

 単純に商売を考えたら、
「リアルなSFガジェットとMS」で「リアルな物語」で「視聴者全肯定するような(アムロがニュータイプとして覚醒しそれは人類の革新の予見である、といったような)」が望まれていると思うので。
 最初からそれを縛りにして作ればいいとは思うんだけどね。
 主人公大活躍のための「ニュータイプ」という仕掛けが、それ以上に視聴者全肯定の仕組みだったからな。

 なんというか。無いものねだりではあるが。
 心地よいリアルににのっとった、ガンダム(でなくていい。ロボットモノ)を見たいなと思う。

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