島国大和のド畜生
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感想 車田正美は歌舞伎なのか
 ちょっと仕事が立て込んでおり、自宅仕事しながらゆるく見るのにちょうどいいアニメとして聖闘士星矢があり、バンダイチャンネルの罠にハマって無料なのでずっと流していた。
バンダイチャンネルロゴバナー(灰)
 ファン的に星矢に詳しい人がわりと身近におり、いろいろ説明も聞いたが、自分自身は車田ファンというわけではなく、星矢もそれほど詳しくない。12宮偏は漫画で読んでアニメも少し見たが、それ以外は話の順番もいい加減にしかわからない。
 そんな人間が車田を語ってどうするかという話だが、濃い人の語りは一般人には届きにくいので、素人が語るのも面白かろうというアレである。
■車田正美は歌舞伎なのか
 自分が若かりし頃。
 週刊少年ジャンプ紙で、毎週毎週同じことをやっているようにしか見えないマンガがあった。
 それは『風魔の小次郎』である。(え。全6巻なの!? 買うか。)
 
 何かといえばブチヌキか見開きでバーンと学生服男子が見栄を切っている。よくわからぬ荒地で木刀をもって超常的な戦いをしている。時代がかったセリフを喋ってる。そういう漫画、という認識だった。
 実際はちゃんと詠むと面白いらしいのだが、途中から見るとまったくついていけないのでそう思ったのも無理はないということにしてほしい。
 聖闘士星矢も似た印象(何かといえばブチヌキか見開きで、よくわからぬ石造りの神殿風背景で、ヘンな鎧を着た男たちが時代がかったセリフでケンカしている漫画)である。
 車田正美の出世作『リングにかけろ』は自分もリアルタイム読者ではないので良くわからない。

 で。正直この車田様式美(毎回同じようなカットで同じような大袈裟さの奴)は、慣れないと何が面白いのかまったく解らないのだが、慣れてくると快感原則がある。
 ファンではなかったのでこの感覚がずっとわからなかったのだが、最近立て続けにアニメみたり昔の漫画を読んだりしたら、やっと片鱗だけ解った気がする。

『ああ歌舞伎だ』
 と。

 白波5人男程明確に名乗りを上げる訳ではないが、「ここでこう来たらこうなる」みたいなお約束の様式美があり、それにパチリとハマったり、スカしたりするのが気持ちいい漫画なのではないか。

 アンドロメダ瞬の危機には必ずフェニックス一輝が駆けつける。ドラゴン紫龍はすぐ脱ぐ。すぐ失明する。すぐ直る。
 このキャラはこう振舞う、といったキメゴトがありそれが絶妙のタイミングでパチンと嵌ると気持ちいい、みたいな、そういう面白さ。

 キグナス氷河はすぐ踊るマザコンで頭にオマルを乗せていて師匠っ子。みたいな行動原理と見た目と属性付けで強烈にでキャラが立っていて、その延長線上にキャラ特有のキメがありそれがスパーンと嵌る快感というか。
 車田キャラは属性がてんこ盛りでカブっていないあたりが素晴らしい手腕である。

 振り返ってみれば、ギリシャ神話をネタに10代~20代の少年少女が繰り広げる物語にもかかわらず、まったく世俗的な生活臭がなく、セリフもやたら大袈裟で、物語以外の部分は一切語られない、そういうストーリーテリングは多分に様式美を重視する歌舞伎的なのではないかと思うわけだ。
 (歌舞伎なんか生涯に2回しか見たことが無い奴がこういうことを言う)

 いわゆる物語に必要なパーツしかない。みたいな洗練。
 ひたすら不要なパーツを排除し、必須パーツを濃く、効果的に配置する。
 なるほど。
 自分が当時車田漫画をイマイチ楽しめなかったのは、その様式美を理解していなかったからではないか。

 今現在、少年ジャンプにおける車田フォロワーはブリーチだと思っている。
「なん…だと」
 に代表されるまでもなく、全体的にお約束に溢れ、誰も彼もが大仰な事を言っている。
 このキャラはこういうキャラだから出て来てタンカを切ればそれでいい、みたいな話の進み方。

 車田が様式美にこだわり世俗の情報をそぎ落としまくった内容なのに対して、ブリーチは脇の話やキャラの話を盛っていて話を横に広げようとしているように見えるが。
 これは個人の好みの問題だが、車田正美の漫画は、ラーメンに例えるなら激濃トンコツスープ、具はシンプル!的なものを感じる。ブリーチは口当たりを一般向けに調整してる感じか。
 
■自伝的マンガ「藍の時代 一期一会」
 週刊少年チャンピオンで連載された、「車田版まんが道」である。大変面白かった。
 他の作家が「まんが道的な漫画」を描いた場合に出てくるリアリティ的なものがまるで出てこない。
 そもそも漫画を描くシーンが全然ない。
 子供の頃からの友人として出てくる2人は、一人は病弱で退場、もう一人はヤクザの鉄砲玉として退場する。
 ものすごい売れっ子として、車田の前に現れる作家は、その後、売れなくなり家族にも見限られ、汚部屋で孤独死する。部屋着のスウェットの股間部分がこれでもかと汚されている。
 ベースになる実話が有ったのか無かったのか、それを勘ぐるのは無粋ではあるが、自伝を描くに当たってここまで脚色するのは流石のエンターテイナーである。
 読者としての自分の興味はもっとリアリティのあるものであったが、これはこれで。だ。

 車田ファンではないので、作品群をボンヤリとしか読んでいなかったが、ああなるほど、この人は無駄をそぎ落としてエッセンスだけにして、それをとてつもなく濃くしてしまう人なのだ、と勝手に納得した。
 車田漫画は歌舞伎カモ。的な話の補強材料になると思う。

■アニメ版オリジナルと車田版と
 車田作品を横に広げた立役者としてのアニメ版がある。
 それは成功事例であるから、そこに車田エッセンスとそれ以外を見れば比較対象に役立つと感じたので比較してみる。

 アニメの星矢を見ていると、車田オリジナルのキャラクターが突出して濃ゆい事に気がつく。
 車田のキャラの濃さをココまでに何度か述べたが、本当に濃い。
 逆を言えばアニメオリジナルのキャラが軒並みアクが弱いのだ。
 アニメオリジナルは、ああ、はいはい、やられ役ね。と言う印象を受ける。ボスクラスでもだ。

 車田漫画におけるやられ役はもっと全力でやられ役の顔をしている。ザ・ザコ。
 アニメオリジナルは、なんとなく普通の顔をしている。ボスクラスにしてもそうなのだ。イマイチパっとしない。
 車田ラスボスは、ザ・ラスボスという顔をしている。
 ハーデスなんかこれは間違いなくラスボスだという見た目をしておりこんなのどうするんだという強さを誇り、アテナが錫杖をぶっ刺して倒した。しかも丸い方から突き刺して。
 アテナつぇぇぇ。

 以前、聖闘士星矢オメガをなんとは無しに見ていたが、車田的魅力がどうにも足りない。
 今、黄金魂を見ているが、これはものすごく車田的エッセンスを抽出しようとしているように見えるが(各種キャラのキメなどは良くわかっている人の演出だと思う)オリジナルキャラが弱い。
 車田的人物の創造にまでは至らない。(それを目指しているわけではないだろう)

 言ってしまえば、聖闘士星矢は、単純極まりない物語で。
『強い敵が出てきた、小宇宙に目覚めて勝つ』
 これの繰り返しでしかない。
 だからこそ、わざわざ、弱い(強さ以外にも。個性、バックボーン、アクが弱い)敵が出てきた瞬間に萎えるのだ。どうせ車田パンチで終わりだろうと。
(車田パンチ=ストレートでもアッパーでも敵が垂直に吹っ飛び頭から落ちてくるパンチ)

 そもそもが青銅聖闘士では万が一にも勝てない黄金聖闘士と12宮を戦い、勝ってしまう、という物語を成立させたのは、その普通は絶対勝てないという無茶振りの魅力だと思う。
 そしてそんな無茶振りを大袈裟な芝居で乗り越えるキャラクターの大仰さ、日常から切り離された宿命の子供たち。まさに神殺しのお話を現代の御伽噺としてやってのける、その力強さ。
 それこそが魅力なのだろう。

 誰がどう見ても教皇がジェミニの聖闘士でアイツが二重人格で黒幕だろ?と解りきった話でもその展開にワクワクできるのだ。
 謎が謎を呼ぶ展開よりも、劇中人物だけが謎に思っていて、読者はみんな解っているという展開のほうが、物語としての強度が有る。
 そういった、お約束を貫く強さ。

 そういった車田テイスト、車田エッセンス、濃縮車田汁に比べると、アニメオリジナルキャラや展開は弱い。

 アニメ版における、ジェンダー主張っぽい仮面をつけない女聖闘士や、ザコくよみがえる旧キャラ、これからは聖闘士は属性で戦う時代だ! スチール聖闘士! ニンジャ聖闘士、なんかえらそうだが、何故えらそうか解らないキャラたち。
 こういうキャラも解らないではないが、それは本当に原作の持つ快感原則に即しているのかは疑問である。
 これはしかし、アニメオリジナル製作者には酷な話で、原作より強い敵を出そうと思えば原作キャラを噛ませ犬にせざるをえず、それは全方向に敵を作ってしまうだろう。
 そういう中で作られたオリジナルキャラであるとは思う。
 苦労の多い仕事だろう。

■真剣につかれるウソは楽しい。
 つまり、車田漫画の楽しさは、真剣につかれるウソなのではないかと思う。
 様式美の根底を支えるのは、真剣さ。

 アテナが繋がれっぱなしでトイレどうするの!? みたいな事は言わない空気。
 え、神話の時代って、その星座まだ無いよね!? とか気にしない勢い。

 車田キャラクターは有無を言わさぬ強さがある。
 目を閉じて登場し、車田噴出し(黒ベタの筆ぬり噴出し)で喋れば、異を唱える事は不可能なオーラがある。
 車田ワールドでは10代の若者が「笑止」とか言うし、神に近い男が普通に居るし、あの世にも普通に行って帰ってくる。

 力強くつかれた嘘は、それに乗るのが楽しい。
 余分なものを全てそぎ落として、物語のキーになるギミックや感情だけを抽出し、それを大ゴマでドドーン! と描く。
 細かい事は気にするな。ここはドドーンだ。
 しょーもない浮世やリアリティなんざ糞食らえ。ここは落差が重要だ。
 そりゃ、ドドーン!

 読者が、ああ気持ちいい。となる仕掛けなのだと思う。
 日本の伝統芸能、能や歌舞伎ってこういう感じではないのかと。

 と、随分褒めているが、12宮偏より後は、舞台が12宮から、海底神殿になったり、あの世になったりして、、倒す敵が別のものになっている、というだけで、やっていることは縮小再生産、そのウソは前にも聞いたから、もういい、という印象になっていった。
 同じギミックが読者に通用するのは1回だけ。聖闘士の戦いのようである。 
 漫画家というのはほんと過酷な職業だなと思う。

 ひとつの様式美、決め技、必勝パターンを見つけた作家の漫画は、割と生き様を見るような気持ちで読める。


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