島国大和のド畜生
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フガフガ日記
 体調不良で鼻が詰まって呼吸困難。
 勉強用に張り付き系ソシャゲにガチで張り付いてみたらゲロ吐きそうなハードさ。
 この苦痛から逃れるためなら課金も辞さぬ、というのはわかる。

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 すげぇな。予約1位。

■どうでもいい話をモンモンと。
 仮想現実から得れる快感が現実を上回った場合。
 たとえば、尾篭な話で申し訳ないが、AV見てるほうが実際に性行為を行うより楽しくなったら。
 他、現実の成功体験よりも、仮想現実での成功体験のほうが快感を伴えば。

 人間の脳は、大雑把に言うと、現実と画像の区別がつかないそうで。勿論ロジックで後付で理解はしているそうだが。
 先ほど例に出したAVにドキドキする自分と直接人間にドキドキする自分との間、脳のコアは究極的には一緒だという。
(そんな事いえば、薬理的に興奮や安心作ったりするのも一緒だわな)

 では翻って、物語(仮想の人生)を作ったり、ゲーム(仮想の達成感)を作ったりするのは、これは人にとってどういう意味があるのか。

 そもそも「遊びとは現実の練習」で、肉食動物の子供がじゃれたり追いかけっこをするのは、現実の狩りへの習熟過程であり、成獣は遊ばない。
 成人後も遊ぶというのは、人類を始め一部のサルなどに見られる、幼形成熟をした哺乳類にみられる現象だが。

 本来脳が複雑に進化したのは、社会への適応であるという。自分と外界、狩るか狩られるか、食うか食われるかの世界はルールが単純だが、社会は協力と裏切り、強調、欺き、がある。
 いつまでたっても習熟しきれない複雑さの社会を相手には永遠の学習(遊び)が必要とされる。

 つまるところ、あまりにも社会が複雑化すると、遊びは社会への習熟の為のものから、社会からの逃避の為のものになるのではないか。

 みたいな話がモヤモヤとあり。

 この糞面倒臭い社会で正気を失わずに生きていくには、それなりの息抜きが必要で。
 そういうものを作る事には意義を感じているのだが。

 なんかあと一歩進められないものかと思う。エデュケーションやりたいってのもあるが、そういうのよりもうちょっと変化球が、ありそうで、なかなかない。

2015/02/15(日) 05:57:12| 固定リンク|日記| トラックバック:0 | このエントリーを含むはてなブックマーク|
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