島国大和のド畜生
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今日はGのレコンギスタ見て寝た。
■Gのレコンギスタ
 11話視聴。
 なんか、とっちらかった内容だなーと思ったら劇中で「とっちらかったんだろ」っていう発言があった。
 富野作品はこういう、突っ込まれる前のセルフ突っ込みを良くやるよね。なんでアムロをガンダムに乗せないの!とか。(Z)
 Gレコは物語自体が敵味方が解り難い内容なのだが、絵的にも解り難いのは、とっちらかったの二段重ねでちょっとマイナス効果だと感じている。
 1stガンダムにおける、「連邦のメカは四角い、ジオンは丸い(戦艦も)」「連邦の制服はグレーとカラフル。ジオンはグリーンと赤」みたいな解りやすさは、なかなかに重要なものだなと思う。

 Gレコも一応ルールがあるのだが、それほど解りやすいルールとは思えない。


 さぁ組織別に別けてみるがいい。(ちゃんと本編見てないとむりじゃないかな)
 ガンダムシリーズで言うと、Zガンダムは敵も味方もメカデザインのラインがごちゃ混ぜになり非常に解りにくかった。
 1stガンダムは子供向けアニメの皮を被っていて、ロボvs怪獣、メカ獣とかの延長だから解りやすいってのはあるけど、だれもがそんなに一生懸命物語を追ってくれるわけではないので、とっつきやすさは重要じゃないかと思う。
 スターウォーズだって、「ジェダイは四角くて、帝国は丸い」のだ。(Xwing、タイファイター、デススター)
 コンバットのサンダース軍曹はラフな雰囲気で、ドイツ軍はみんなバケツヘルメットをきっちり紐でつけて、詰襟を上まで止めている。

 このあたり、Zガンダムでのメカがグダグダなのは、商品的な要請(とにかくプラモが売れるMSが必要である)と、複数デザイナーの乱作(殆ど最後は一人がまとめたとは言え)、起用のきまぐれ(アムロがディジェに乗っちゃうともうなんだかわからない)などの組み合わせによるものだと思っていたのだが。
 今回はどういった理由で、ここまで難度が高い感じになっているんだろうか。

 劇中で、クンタラという被差別階級が描かれるのだが、これがとても丁寧に描かれていて、とくにこの人がクンタラであるという明言がされる前から、クンタラっぽいとか、なんとなく被差別階級っぽいとか、にじみ出るような演出がされている。
 これはまさに演出のなせる業だと思う。

 ひるがえって。
 敵味方の組織がわかりにくいというのは演出の問題もあるが、まずデザインの問題でもあると思うので。
 何でこういう風にしちゃったのかな。という感じはまだぬぐえない。



■余談
 1stガンダムを褒めると年寄りの繰言にしかならずに心苦しいのだが、あれはやはり思春期に観たものなので。(注:思春期に観たものはなんだって凄いものだとカンチガイする) 
 アレはまず戦争状況で、自分の住んでいた場所を破壊され、幼馴染の家族を殺されて、目の前にその状況を打開できる兵器ガンダムが転がっていて、しかも自分はそれが操縦出来る、というお膳立てである。
 そりゃ乗るしかない。(エヴァンゲでも類似パターンとして瀕死のアヤナミを使っている)
 んで、その後は全員を避難民としてホワイトベースに乗っけて正規の軍人が足りない中宇宙航海を開始する。
 新鋭の戦艦なのでジオン軍は執拗に追い回すし、シャアにまで追い回される、ガンダムをまともに動かせるのはアムロぐらい。この状況下では戦わざるを得ない。
 選択肢がない状況下で以下に生き残るかという話をしている感じ。
 地上に降りてからアムロが脱走するのも、一通りのストレスとプレッシャー、だが自分がガンダムを使っているからこそ船を護れているという自負、しかしブライトはガンダムから自分を下ろすという、みたいな、ブチギレポイントがあり、と、なかなかに納得づくで話が進む。
 アムロが何故ココでこういう行動を取るのか、というのがオコサマ視聴者でも理解できる。
 んで、組織的なものは、連邦軍とジオン軍の見分けはつきやすいし、政治的な話もとても解りやすい(単純だから)。
 政治的な話は、チョコチョコ名前は出ていたものの、序盤ではデギンもギレンも画面に出てこないんだ。
 ガルマが死んで、やっと、デギンが杖を落とすまで、ザビ家の説明していない。
 それはココまでの話では「ザビ家なんか気にしないで、アムロたちを襲う危機の連続を楽しんでね」って話で。
 一山超えて、「じゃあ敵はどういう人たちなのか」という段階になって、あのガルマの国葬なわけですよ。
 アムロやホワイトベースクルーから見える視点だけで話を進めておいて、ジャブロー付近から大きい組織の話が出てくる。ホワイトベースが囮専門部隊とか。
 富野演出は情報を多重的に詰め込むのがやたら上手いので、1stガンダムの一話とか見てると、バラバラに動いてた事象がホワイトベースに終結してくるくだりとか、ポンとひざを打つ感じなんだけど。
 それでも情報量のコントロールはされていて、初期に視聴者が興味を持つべき内容をかなり絞っていると思う。
 そうやってアムロに感情移入させ、クルーに感情移入させ、ホワイトベースに感情移入が出来た頃に大きい舞台の話を持ってきて、ソーラシステムとかソーラレイとか、大仕掛けの話の時には完全に主人公集団はワキなのだけど、それが戦争らしさを演出している感じ。
 まぁとにかく上手いのだ。超上手い。
 勿論、TV放映時は結構とっちらかっていて映画で再整理された部分はあるのだが。

 んで。
 富野監督としては、一度やったヤリクチはもう同じことをやってもそれを超えられないし、新しい仕掛けがないってことで、避けて通っているのかもしれない。
 宇宙世紀のガンダムは同じ道を外れようとしてもゆり戻しを食らったりして苦労しているように見えた。
 Gのレコンギスタは宇宙世紀のしがらみをとっぱらって、「再征服」をする、ってんだから、それなり以上の意気込みでやってるんだと思う。
 (ターンAがこれまでのガンダムを全肯定して(皮肉あり)それを包んでやる=ガンダムはオレのもの!てのをやったとも解釈できる。レコンギスタはその伝で行くともっと強烈にやるってんじゃないのかなと期待してもいいだろう)

 話がどっちに転がるか解らないってのは、興味を引く手段にもなるが、マイナスになることも多い。
 かつてゲームでは「貴方は記憶喪失です。目的もなにもわかりません。」みたいなゲームがわりとあった。それを堀井雄二が評して「とりあえず、嘘の目標でも与えたほうがいいよね」。
 そのほうが、ひとまずプレイヤーの気持ちの方向が定まる。そして嘘の目標を追う過程で本道の目標が見つかればいい。みたいな事を書いていた。
 アムロがとりあえずの生存の為の戦いから、仲間を得てそれを護るための戦いにシフトし、気がつけば人類の可能性を示してエンディングを迎えたように。(戦争状況からの脱出⇒人類の進化の可能性)
 あんまり大仕掛けの舞台を先に提示しても、興味を引き難いってのはある。
 このあたり少年漫画とかは、一話での読者ヒキが最重要事項なので、非常にシステマチックに主人公の魅力を強くプッシュする。主人公さえ読者に受け入れられれば物語は後からでもついてくる。みたいな思想がある。

 なんでこんなことをグダグダ書いているかというと、自分の中の違和感とか、物語のヒキの構造をちょっと整理しておきたいと思ったからで、最近文芸寄りの仕事がわりとあるのだが、そこは本職ではないと自分で思っているから。
 いろんな人の小技は吸収しておきたい。(いまさらだよ!)


 さらに余談。
 まぁ1stガンダムのメカの解りやすさは、「モノアイがどんだけ発明だったか」という話でもある。あれは本当に凄いよ。動力パイプが霞んだよ。

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