島国大和のド畜生
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オール・ユー・ニード・イズ・キル の映画と漫画を比較して思った事とか。
 All You Need Is Killを読んだ。(2巻完結)
 オール・ユー・ニード・イズ・キルもちょっと前に観たのだが(感想)、この差がまたオレには物凄く面白かった。

 以後、どうしてもネタバレバリバリになるので、未読、未見の人は読み飛ばしてください。

 漫画版(以後、小畑キル。原作に近しいと言われる)と映画版(以後、トムキル)の違いは、それこそ、日米の創作物のありかたの違いのように感じた。

 トムキルはハリウッドのシナリオ技法の教科書のような出来だと思う。
 三幕構成というか。この辺までに物語のルールを決めて、挑戦させ、挫折させ、みたいな基本どおりの流れを、あの手この手でキッチリ全てに見所を用意して魅せる。
 パシフィックリムもそうだったし、ピクサーのアニメもそう。マトリクスも。
 この辺の万人に受けるかどうかのABテストを繰り返したようなシナリオ(実際ABテストをやることも多い。エンディングを複数作って試写会、ウケの良かったものを上映するとか)は、さすが世界に向けて商売してるなと感じる。
 ソシャゲ的だなという感想すら出る(ジンガのゲームはABテストのカタマリ)。

 翻って、小畑キルは、わりと作家性を濃く感じさせる。構成自体もそうだし。変化球のキャッチボールのよう。それが面白さを生む。(かなりスタンダードではあるが。比較として)
 日本の漫画や映画、その他創作物ってこのタイプが多い。
 尺八や三味線は、常に一定の音を譜面どおりに鳴らす楽器ではなく、にごった音、すこし調子が外れた音などを含めて、複雑な味わいを持つ。
 日本の大衆演劇や古典落語なども、演者も視聴者もお互いを知り尽くした上で、揺らぎを楽しむ。
 なんというか、日本人の国民性(この辺の言葉はアヤが出やすいが、厳密ではなく)として、「同質性が高い」ゆえに、細かい違いや、揺らぎ、作家性とかに楽しみを見出せてる気がする。

 かたや西洋の楽器だと、オーケストラみたいな、正しい音を正しく出す。そしてそれを複数使って厚みを出す。みたいな印象だ。
 どんな人種がどう観ても解る様な、面白く感じるようなつくりになっている。

 悪い言い方を使うと、日本の創作物は「内輪ウケ」的なのだ。
 なんか私小説とか、日本以外ではあんまり見ない形態だというが。そういう感じ。
 お互いが良く分かり合ってる均質な人たちのなかで、違いを楽しむというか。


 もちろん、アメリカの創作物だってそういうのはあるだろう。
 しかしハリウッドは最初から世界市場を狙っているし、日本にまでくるのは特にそうだろうから、そりゃABテスト繰り返したように、多くの人に刺さるチューニングになる。

 日本映画だと オレは紅い眼鏡とか大好きなんだけど、これまったく人に薦められない。
 観たときの心情と合致してオレに深く刺さったわけだが、こんなの刺さる人の方が少ないし、監督も刺すつもりで作ってない。まさに日本映画的だなと思う。
 トムキルは、「多くの人に面白いなこれ!」という刺さり方をすると思う。その上でその一部の人に、「めっちゃいいやんこれ」と深めに刺さるだろう。
 日本の創作物は、狭い人にグサッ!と刺さるが広くない。萌えも燃えも狭いんだ。見たいな感じ。
 そもそも萌えも燃えも、とても狭い細かい差異や属性を愛でる心性よね。

 絵が上手く、漫画力が高く、きっちりと万人に受ける仕事をこなす小畑という才能が、キッチリと評価の高い原作を漫画に仕上げて、これがとても面白かったのだが。しかし、万人に向ける小技として、トムキルの安定感はほんと何事だコレ;;という感想を持つ。
 良し悪しではない。方向性の違い。
 ただ少子化を突き進む日本において商売として、今後目指すべきは、とにかく多くの人に刺さる事なので、悶々とする。
 解る奴だけが解れば良いという楽しみは、それこそ文化の爛熟の極みだと思う。
 日本の少子化はそういうのを今後ジワジワとパァにしてしまうのだなと嫌な気持ちを加味しててしまう。




 トムキルと小畑キルの違いで、大きくなるほどと思ったところを羅列していく。

・主人公の立ち位置
 トムキル:戦闘未経験だが、事情により無理やり二等兵として最前線に送られる。
 小畑キル:訓練を受けた新兵
 戦闘未経験であるほうが、感情移入がしやすいから、映画と言うメディア、トムクルーズという俳優、そういうのをかんがえれば、映画化して世界に向けるならこの設定を選ぶべきだとなる。
 原作小説がラノベであるとの事なので、小説、漫画なら、わざわざ新兵として巻き込まれるような描写は不要だろうから、小畑キルが訓練を受けた状態から始めるのも解る。

・能力の得かた
・トムキル:特別なギタイの血を浴びた。
・小畑キル:特別なギタイを倒した。
 そりゃそうだ!血を浴びたならみたまんまだ。超解りやすい。映像作品ならこの改変は必要だわ。
 小説ならたしかに要らないし、いくらなんでも血を浴びたぐらいで特殊能力得れないだろ。みたいな突っ込みも回避できる。
 だが、映画では、そしてハリウッド作品では、ここまで解りやすさを重視するのかと(この血を浴びたから能力を得たという表現もとてもチープにわかりやすい)ポンと手を打つレベル。

・能力の失いかた
・トムキル:輸血をすると失う。
・小畑キル:失わない。
 この能力を失うのは映画では必須だと思った。能力により死なない状況下で繰り返される戦闘やちょっとしたコメディは面白いのだが、物語の緊迫感をそぐ。何回も失敗していいなら1つの戦闘なんかどうでもいい。
 だから、物語が佳境に入ったところで能力を失なう。ちょうど繰り返しによるトムの戦士としての成長やちょとしたお笑いのパターンに飽きてきたあたりで、はいここからは死んだら終わりですよ。と物語のルールを再設定する。
 映画館で「そろそろ能力失う頃だよな」と思っていたらキッチリ失ったので「デスヨネー」という感想となった。
 小畑キルで失わないのは、そういう解りやすさがなくても、また死んだら積み重ねがパーだというのをちゃんと書けるし、読むほうも受け取れるからだろう。
 しかし、多くの人を相手にするなら映画版の改変は納得がいく。

・ヒロインの能力
・トムキル:失っている
・小畑キル:失っていない(半端)
 これも物語の進め方としては、トムキルのほうが単純明快だ。小畑キルは複雑であるがそれゆえエンディングをあのように迎える仕組みになる。

・ヒロインの扱い
・トムキル:ハッピーエンド
・小畑キル:ラストバトルの相手
 これは先にどちらを見たかで感想が変わると思うが。
 まぁどちらも納得の落とし方だと思う。
 あえていえば、漫画版はやはり、この手の話に慣れ親しんでる人に向けての捻りが入っていて、映画はスッキリサッパリ単純だ。
 
・ラストバトルの場所
・トムキル:敵の本拠地に乗り込む
・小畑キル:敵が主人公の基地に攻めてくる
 これも、トムキルのほうがハリウッド的なわかりやすさと物語の前進感を生んでると思う。
 良し悪しでなく、趣味の問題でしかないのだが、より多くの人に刺さりやすいのはトムキルという事だと思う。

成長
・トムキル:繰り返しの戦闘と訓練中で、選択肢を覚えて強くなる。
・小畑キル:繰り返しの戦闘と訓練の中で強くなる。
 トムキルはループもの故の面白さ、おかし味を出す意味で、ココに敵が来るから撃っとく。ほらあたった。みたいな感じで強い。その結果、初めての状況には弱い。
 凄い強さと、初めての状況での危機感がメリハリを生んでいる。
 小畑キルは、ラノベ的に主人公が強くなっていく要素が強い。(ラノベだし)
 これも良し味の問題ではない。
 そして、日本の創作物というのが、狭い層をターゲットに向けて作られている(だから刺さる時はとても深く刺さる)というのを表わしているなと思う。



 個人的な感想をいえば、小畑キルすげぇ出来が良いと思う。
 映画化とかいろいろな条件があり、良い原作を良い漫画家が、2冊分というちょうど良いページ数で仕上げるという、幸運。
 普通の連載漫画なら長期化して100%グダグダになっていたんじゃないか。
 綺麗に計算されて2冊に上手く配分されたお話と、見事な絵は、ほんと単価以上の価値を感じる。

 んで、トムキルだが「おいおいここをそんなにわかりやすい表現にすんの!?」みたいな改変はあれど、全編を通して、ABテストやったら、こっちを選ぶだろう、みたいな見事な取捨選択と、シナリオの配分によって、誰が見ても面白い仕掛けの多い、物語を見終わって不満の残り難い、ザ・ハリウッドの良くできた映画みたいな仕上がりになっている。

 繰り返しになるが、日本の創作物というのは、尺八や三味線の独奏のような、個人のスーパースキルやその揺らぎを楽しむものが多く、西洋のそれは、チームワーク、グループワーク、で正しい音を必要な場所に必要な分だけ投入したオーケストラみたいな印象がある。

 金をぶっこめばぶっこんだ分だけ、良いものが作れるのは西洋式のほうだし、多くの人に響くのも西洋式だ。ABテストで導き出された最適化された面白さがそこにはある。
 そのうえで、作家性を練りこむことも優れた創作者には出来る。

 そして、日本式は、同じような体験をもつ(同質性の高い)人から見れば、とても刺さる。多くの人に向けたABテストの繰り返しではたどり着けない特異点がある。あるけど、刺さる人は少ない。
 大ヒットはまぐれ刺さりへの期待になる。
 もちろんマーケティングから作ったような作品も一杯有るし、それが見事に刺さってたりもするが。
 ことシナリオワークに関しては、個人のスキルに依存しすぎているようにも感じる。



 そもそも日本式の面白さというのは。
 均質性の高い人が密集して住む日本という文化故ではないかと思う。
 これも2度目だが。
 少子化を突き進む日本において商売として、今後目指すべきは、とにかく多くの人に刺さる事なのでハリウッド式にやっていかねばならないのではないかと感じる。
 自分のグラウンドはゲームなので結構これはクる。

 解る奴だけが解れば良いという楽しみは文化の爛熟の極みで。
 そういうものを作っていて食えるだけの人口がいるというのは幸せなことだろう。

 だからこれからはちょっとずつ不幸になっていく。
 日本語のコンテンツが刺さる人が減っていくのだ。

 少子化対策の遅れと失敗は本当に無念きわまる。


 思いつくままに上から順に書いただけでの文章なので、後で「てにおは」の間違いや句読点などは直すやもしれず。

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