島国大和のド畜生
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物語の面白さとゲームの有用性
■冒頭極論
 物語が面白いかどうかは、そのエピソードの骨子よりも演者が魅力的かどうかに寄る所が大きい。
■補足と説明
 というか。

 順を追って説明する。
 最終的にはゲームの話だが、出だしは漫画の話から。

 自分は流行りモノを押さえる為にメジャー少年週刊誌を定期購読しているが、最近「エピソードは面白いのだけど、イマイチ人気の出ない漫画」がとても気になっている。複数ある。

 逆を言うと、「エピソードは大した事無いが人気のある漫画」というのが、ヒット作の内の多くを占めて見える。


 こういったヒットの有無は「キャラに魅力があるか」「キャラが共感されているかどうか」が指標でないかと思っている。

 小池一夫はこれを「キャラが立つ」、富野由悠季はこれを「モテるキャラ」と呼んだ。

 漫画のような娯楽では「キャラ立ち」が最重要と言われるように、どういうキャラがその物語を演じるかで、物語の価値が決まる。(ウケると言う事だ。)
 むしろ、キャラが活躍出来る物語が用意される。

 興味の中心はキャラクターであり、キャラクターが何を成していくかが、物語になる。(当然例外はあるのだろうが、すぐには思いつかない。)




 自分は詰将棋のような物語が好きだ。
 キャラクターや事象が配置され「この状況をこのユニットでどう解消するのか」を楽しむ物語。

 だから終盤に、今まで盤上にも駒台にも無かった駒が出てくるのは(新キャラ登場や、新たなルールの定義)、一定を超えると残念な気持ちになるし、明らかにユニットの性能的に無理な行動や戦火(感情高揚で勝つ、チート性能、勝敗に納得が行かない展開)があると興味を失う。

 しかし、そんな事よりも「視聴者にモテるキャラ」「共感を呼ぶキャラ」が創造出来れば、そのキャラに振りかかる災難やその克服の様は、多少のご都合主義があっても、多くの読者の支持を得る。
 チート性能の覚醒が拍手喝采で読者に迎えられる事も多い。

 キャラクターに魅力があれば、読者はそれを応援し、無理でも無茶でもキャラクターが勝てば、快感を得れる。

 全くの魅力の無いキャラクターを主役に添えて成功した物語というのはおそらく無い。キチガイも反社会的勢力も愚者も、ある種の魅力を備えて登壇する。

 冒頭の極論「物語が面白いかどうかは、そのエピソードの骨子よりも演者が魅力的かどうかに寄る所が大きい」はそういう意味だ。




 ここでゲームの話になる。
 キャラクターに共感を抱かせるのに最も良い方法は何か。

 読者、視聴者を、キャラクターにしてしまえばいい。

 漫画などの娯楽が如何にキャアを立てるかに腐心していたなか、ゲームはチート的な手段が使えてしまう。
 プレイヤーキャラはプレイヤー自身という方法は本当に強烈なのだ。


 当たり前のことだが、みな自分の事には興味がある。

 ゲームは、プレイヤーとして世界に参加する事で、キャラクターを掘り下げ無くても主人公に共感させる事ができる。

 いくつか例をあげる。

 ドラクエの主人公は、最低限のバックボーンのみを持ち、その心はプレイヤーと同体である。
 格闘ゲームは、キャラの動きとの一体感こそが真骨頂であり、ダメージを「イテッ」と口走る程に感情移入される。それゆえ付属品の物語はチープでもなんら問題なく楽しめる。
 ギャルゲー等のハーレムゲームにおける主人公は、可能な限り無味無臭に設定され、プレイヤーとの距離を作らない配慮がなされる。
 FF7に置いて、主人公クラウドは偽りの記憶を持っているが、その記憶はプレイヤーが実際プレイしていた記憶なので、それを嘘だと気付くことはプレイヤーには出来ない。まさに体験させるメディア故の誘導である。

 これらは、ゲームが双方向であるがゆえに使える強烈なショートカットで、他の漫画やアニメ、小説等のメディアでは、かなりの技巧をこらす必要がある。



 ここまでに例にあげたように、物語を語るフォーマットとしてゲームは非常に使える。
 もちろん、ゲームでは語りにくい物語の方が実際は多いが、主人公への没入を必要とするタイプの物語は、ゲームにかなり向いている。

 実際物語るフォーマットとしてのゲームをいくつかあげる。

 ドラクエは、少年漫画的な主人公の成長とRPGの成長の合致によって、ある種の物語を語るフォーマットとして確立されている。

 バイオハザードは、アローンインザダーク的なゲームで物語を語る仕組みを一段推し進めた。

 日本ではマイナーになるが、ルーカスアーツからグラフィックアドベンチャーというシリーズのゲームが出ており、これらは、3人称的に見えるキャラクターを操作して物語を体験する仕組みで、シナリオが面白かったこともあり、当時、物語るフォーマットの可能性を感じた。

 メタルギアソリッドはムービー部分を全部抜くとプレイ時間が1/8になるぐらいに饒舌だが、それを飽きさせない為にゲームが上手く使われている。

 アドベンチャーやRPGは基本的にプレイヤーの視点で物語を、ある程度の自由度を持って辿るシステムである。
 大きな流れとしての物語を細かい単位に分解し、それぞれの入手をある程度シーケンシャルからランダムにすることで(誰からどの順に話を聞くか程度の自由がある事で)物語を、プレイヤーが紐解いていく感覚を作る。

 また、あえて触れなかったが、分岐のある物語等は、セーブロードといったメタな機能も含めて、他メディアで表現しにくいものであり、これもフォーマットとして確立されている。

 ノベルゲームの「アニメより動かない」「小説より絵と音がある」という見方によってはハンパな立ち位置は、物語の進行速度がユーザーに委ねられている(ページをめくるようにアニメを見る)といった、ユーザーの能動性があるため、独特な立ち位置を獲得している。
 本のページめくりの単位はメディアの都合が大きいが、ゲームのテキストのステップは表現と結びついている。



 物語る時、ゲームのフォーマットは思いの他強い力を持つ。


 わざわざ今回この辺の話をまとめなおした理由は3つある。

 原因一角はソーシャルゲームの隆盛だ。

1つ。ソーシャルゲームの隆盛で割合において「物語るゲーム」が激減している事。
1つ。ソーシャルゲームの隆盛で、新しい種類の「物語るゲーム」の可能性がある事。

 マンガの1冊、30分のTVすら見れずに、まとめサイトや動画サイトで断片を収集するようなライフスタイルにあった物語の語り方というのはある。

あと1つの理由は、別エントリで書く予定。



半分寝ながら書いたので、後で誤字や「てにをは」などを修正します。

2013/05/17(金) 08:07:17| 固定リンク|日記| トラックバック:0 | このエントリーを含むはてなブックマーク|
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