島国大和のド畜生
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体罰とか学校教育とか
 体罰関係でテキストを読む機会があったので自分の考えを記しておく。
 基本的に、今の日本の学校教育やスポーツの指導の仕組みは時代遅れであり、原則通り体罰は禁止で良いと考えている。
wikipedia-体罰の事例等を読むと、随分いやな気分になる事ができる。
 こういった状況を踏まえてすら、体罰を容認する空気が拭いきれぬ状況にいらだちを感じる。

■学校の目的の変化
 もともと学校というのは、工場労働者や軍人のような、チャイムに従い時間通りに行動し上司の命令に服従するタイプの人間を育てる仕組みとして機能していた。
 また、共同体の濃密な人間関係の訓練場でもあった。
 それが良い悪いはさて置き、そうやって育てられる事でかつては社会に適応できた。(順応できないものはずっと苦労を背負うか死ぬ事になった)
 今は違う。
 学校は旧態依然として有り続けた為に自家中毒を起こし、社会の変化に付いていけていない。
 濃密過ぎる人間関係は、学校内特有の問題を生み出し、そのイジメやハラスメントのあり方は社会へも輸出されていく。むしろ学校のあり方が社会のマイナスとなっていく。
 今や学校で濃密な人間関係に適応しても社会で冷や飯を食う可能性はあるし、できる人間を潰してしまう危険性も高い。
 なぜなら均質な構成員で競争をした場合、努力するよりも人の足を引く方が効率的だからだ。
 これは島国故に長く内部競争を繰り返した日本の場合は顕著にその影響が見て取れる。
 体育会系と言えば聞こえが良いらしいが、軍隊式の理不尽に耐えうる要員を育て(無理なものは落伍させ)ていたわけだから、市場がグローバルになった今、そんなものは売りにならない。
 GHQの話までさかのぼる気はないが、時代に合わないのは確かだと考えている。
 そもそも教育が被教育者の為に行われていない

■オーバーキャパシティ
 まずもって今の学校はオーバーキャパシティだ。
 複雑化した今の社会で教師に生徒の全ての面倒を見させるのは不可能だし、家庭が学校に一定以上の生活指導まで求めるのは無茶でしかない。
 教師は人間だし、サラリーに合わせた以上の仕事を求めるのはブラックだ。

 最近の学校は、少子化が進み濃密過ぎる人間関係の中でお互いのポジショニングとキャラ付けが終了してしまい、その密度のまま学校生活を送るのがデフォルトらしい。
 スクールカースト下位に属した場合のその閉塞感は、親世代の想像を超えるという。
 そんな場所に人間を押し込み、人間的成長を期待するのは、特殊な環境に特化した人間をつくるに近しい。

 社会は消費者を求めているので、子供の消費行動をただただ煽る。歯止めが無くなれば子供の行動はどこまでもエスカレートする。

 そんな中、ただでさえ過密な教師の仕事に、口で言っても解らぬ相手は殴れ、を足すのか?
 殴る許可を与えたから、子供を立派に育てろ、というのはそもそも「そこをアウトソースする先は本当に学校か?」という話でもある。

■殴る人を信用できるか?
 普通、人は人を殴れないようにできている。ボクサーでもフルスイングは躊躇するので反復練習で克服するという。
 しかし人を殴る事を躊躇しない人というのは居る。
 また繰り返す事で慣れて躊躇しなくなる。

 言葉による注意と暴力はグラデーションの関係に無く、暴力より酷い言葉というのも当然存在するが、暴力を許可したからと言ってそこの何かが解決する訳ではない。
「善人による暴力」というのは悪い冗談なのは変わらない。

 一部の体罰肯定論者は、教師指導者共に善性を持った者として話を進める場合があるが、それはどう頑張っても保証はされることは無いだろう。

 先の事件で「父母ミーティングの際にこれからもビシビシやって下さいという父兄発言に会場が沸いた」などという話すら流れてくる。
 死者が出てすら、あれは善性だったとする人達がいるのだ。

 聖人君主(君子)による善政を望みたい気持ちは解らないではないが、そういうのは夢でしか無い。
 全ての教員、指導者が聖人や善人であることは無い、という前提が必要なのは言うまでも無いはずだ。

■体罰では解決しない
 イジメ問題でも書いたが。
 鳩は狭い檻に2羽以上入れると、どちらかが死ぬまで喧嘩をする。空に飛び逃れる環境が無ければ、彼らは殺し合いをするのだ。
 イルカは死亡に至るイジメをする。集団で生活する彼らは、その暴力性に火がつくと下位のメスをなぶり殺してしまうという。
 軍隊でイジメによる自殺が多いのは、階級構造上、足の引っ張り合いが優先されやすく、また下位者は部隊の死亡率を上げたり、評判を落としたりする為排除の為に率先してイジメが発生しやすい側面があると読んだ。
 相撲部屋のかわいがりも似たようなものだと想像する。

 狭い空間でストレス与えればロクな事が無い。
 そしてそういう空間で体罰は発生する。

 暴力によって人を制御する事は、良しにも悪しにも使える。
 許可されたら、当然悪い使い方をする人が出る。それを見てその手法をアリと感じる生徒も増える。
 暴力が許可された中で学生生活を送った人が、体罰容認発言をするというのはそういう事だ。自分の経験は絶対と考えがちだし、一度した苦労を無駄とは位置づけにくい。
 簡単な解決を体罰に求め過ぎていないか。
「殴って言う事を聞かせる」
 というのはそんなに簡易な話では無い。

 エスカレートしていくイジメというのは「被害者を無茶苦茶にする事ができる加害者としての自分の全能感」に酔っているという。
 倒錯者が加害者の場合もある。同種の「全能感」に指導者が酔わぬ保証は無いし、被害者も共に酔っている場合がある。
 危険すぎる。

■ドイツ方式
 ドイツでは、問題のある生徒に対して、教師から生徒の保護者に3回書面での警告があり、3回目で放校となるそうだ。
 また、学校以外での生徒の生活態度に教師は責任を持たない。街で見かけた素行不良の生徒に注意をしないと言う。

 まったく他国の方式をそのまま導入しろとは言わないが、今の世の中ではそういう方向に舵を切るべきだと思っている。
 もう人を殴って言う事を聞かせる時代では無い。
 世の中がさらに変わった時にまたどう舵を切るかを議論すればいい。

 もちろん3回通達で放校という仕組みは日本では難しいだろう。
 放校後の受け皿が無いからだ。
 日本の場合、義務教育の落第すらも難しい。
 均質な人間を定期的に育成する仕組みなので、落伍者は義務教育が終わった瞬間にガチの落伍者となる。

 アメリカは、落第も飛び級も比較的普通に行われる。また仕事に置いても年齢を問う事はタブーとされている。ドイツの学校はクラスの半分が落第する事もままあるらしい。 しかし子供の修学が遅れても「留年すればよいとフォローをしない」等の疑問を呈す状況もあるという。
 そこまで落第や放校に理解のある社会でなければ、おいそれと学校からはじき出す事は出来まい。

■礼儀とは相手を認める事
 スポーツの指導者で選手を殴る等という事は、相手を一人前の大人と認めていないということだ。なのでこれは最初からあり得ない。

 では、学生はどうか。
 たしかに、物心つく前の年齢というのはある。
 そういった年齢の子供には「これはしてはいけない」「あれをしなさい」といった事を押しつける必要はある。正しい判断が出来ないからだ。
 しかし、まさにそういう敏感な時期だからこそ暴力を用いる事への躊躇があるべきだ。
 自分が小さい頃、悪さをした子に「しっぺ」をする教師がいた。
 特にそれを体罰だとは思わなかった。今でも別にあれぐらいは良いんじゃないかと思っている。熱心な先生でもあった。
 秩序の為には仕方が無かったのだろう。
 しかし、これがろくでも無い先生であったならば「しっぺ」でも問題を感じただろうし、言葉だけでも問題があるかも知れない。
 こういった属人性のあることをひとくくりにしては語れない。
 ならば「安全策を取る」のが普通ではないか。

■殴ったら殴り返される事もある
 どうしようもない生徒をどうすればいいか。という例が体罰肯定論者から出される事がある。

 「目には目を」で有名なのは「ハンムラビ法典」だが。
 あれは「目をやられたら目をやりかえせ」という意味ではなく、同害以上の報復を禁じているものだそうだ。
 「目をやられたら、目以上をやり返してはいけない」
 体罰を行う側は「何かやられたのか?」
 もしやられたのならば、指導者や教師がやられっぱなしで黙る必要は無いし、報復が暴力である必要もない。

 ブラック企業が労働基準法を守らないように、学校やスポーツの場が法律を守らない。これら閉鎖空間では世の中のルールよりも場のルールが優先されやすい。空気による支配はもともと発生しやすい構造だからだ。
 校内で暴れる不良などはこの閉鎖空間のルールに特化して暴れる。

 独自ルールでなく普遍的なルールを用いるのが望ましい。

■長文の理由
 そもそも体罰は禁止されているので本来ならわざわざ駄目だと語るのは無駄なのだが。 そこを長々と道理を書いたのは、それでも「ビシビシやってください」というような共依存関係や「何故か指導者は善性のものと決め切った言説」がそれなり以上にあったからだ。

 体罰で事故を起こした教師を「熱心な良い先生」として、周囲がかばう図というのは多く見る。
 また、そういう空間に置いて「本来体罰を行わないような指導者がマヒしていく」というのもある。

 この文章によって体罰容認派をサンドバッグや藁人形にしたい訳ではない。
 何度も書いているように「空気」によって拘束されている状況に嫌悪を感じるからだ。
 逃げ場が無い暴力は悲惨だ。

 路上で人が殴られていたら通報の対象になる。
 それが、学校であったりスポーツの場であったら問題にせず、むしろ通報者が空気を読めていないとされる、というのは歪みが大き過ぎる。
 カルト教団と変わらない。これらは自分で考える力を奪う。

 イジメの隠蔽と体罰の軽視は同根であり虐待である。
 ある種の集団は、簡単にそういう空気を纏う。

 体罰を擁護したい人は、虐待との切断処理をしっかりした上で、不許可な現在も問題を起こしている状況を認識した上で擁護して頂きたい。

 虐待を擁護する人は、虐待されて死ね。



参考:
ドイツの教師 校外で煙草吸う生徒目撃しても注意しない理由

「ターイバツ、ターイバツ」の連呼が響く教室 苦悩する教育現場

「殴ってみろよ!」「傷ついた。死んでやる」 教師を挑発する生徒たち 

クラスの半分が落第 ! ドイツの学校は甘くない

Nr. 10 小学校での落第と飛び級

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桜宮高校体罰事件となんで体罰いけないかとか自主性とか(増田)

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2013/02/26(火) 23:59:53| 固定リンク|生活| トラックバック:0 | このエントリーを含むはてなブックマーク|
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