島国大和のド畜生
■次世代くん ■プログラム ■アンテナ ■LINKS ■過去ログ倉庫---
amazon_logo.jpg スポンサーリンク
スカイクロラ(映画)感想
  個人的には面白かった。原作未読。未読にもかかわらずひどい原作改変やってんだろうなとは思わせる。


 押井守作品は、機動警察パトレイバー機動警察パトレイバー2あたりは大変好きで、紅い眼鏡御先祖様万々歳!!あたりが、自分にはド直球で面白かったのだが、かなり見る人を選ぶ内容だと思う。
 攻殻機動隊イノセンスあたりで、個人的に「物語の行き詰まり」「表現のマンネリ」を感じて、もう追いかけなくていいかなと思ったりした。
 攻殻機動隊は、登場人物が延々と電脳検索した借り物のセリフを喋り倒すという会話劇が、設定上はそれでいいのかもしれないけど見ていて面白くなかったし、イノセンスはそれを突き詰めた所為で、会話劇がまったく面白くない上に、話の大枠に比べて動いた話がやたらと卑小で、もういいやこれって言う印象が強かった。監督の個人的な性癖が表に出過ぎてるんじゃないかと感じた。


 そこにきてスカイクロラである。
 話がまったく進まない。動かない。というか「延々とループして進まない物語の中でほんの少しでも前に進めるか」といった話なので、これはもう仕方がない。
 んで、その話の構造上、何を書いてもネタバレになる感じ。

 自分は紅い眼鏡がわりと好きなのでギリギリ耐えれたというか。

「進まない話の中で少し進む」というだけの、まったく動きのない物語と、その停滞した時間の中での体温低めの青春群像的なおっさん視点での若者のあり方みたいなもの。
 物語の大枠として「話が進まない理由」があるのだけど、そしてその理由には触れるのだけど、それを解消したりするわけではないので、消化不良感はどうしようもない感じ。

 この辺り、エンターテインメントとしての映画という作り方をしていない(しかし押井は随分と今回はエンターテインメントを狙ったという発言をインタビューなどで答えていた)

 鈴木敏夫も込みで、押井流のハッタリなのか、本気でエンターテイメントを狙ってこうだったのかは不明。

 基本的には、「話を進めようと思った、しかし進まなかった。でも希望は残っている」という類なので、オレが紅い眼鏡好きだからなんとかなったってだけで、普通の人は耐えられないかもしれない。そうでなくても評価は分かれそう。

「おっさんが感じる、若者の葛藤」
 みたいなものの書き方が、ある世代には胸にクル、というのは確かにあって、自分もそういうところに引っかかって楽しかったのだと思う。



 物語のモチーフとして、絶対倒せない敵「ティーチャー」は、アヴァロンのゴーストであったりするのかしないのか、物語のキーとして、今回の場合は、抑圧する大人社会のリミッターなのか、まぁそういうモノとして現れるのだけど、彼は倒されない。
 同時期の押井の本凡人として生きるということだったか、コミュニケーションは、要らないだったかに若者へのメッセージとして「希望なんかないことに早く気づけ」みたいな事を書いていて、それをエンターテインメントで成立させるならば、もう少し手の込んだアレコレが必要だろうと思った記憶がある。


 声優は詳しくないのだけども。
 わりと棒読みっぽかったりすのも、それはそれでこの世界の低体温な感じに一役買っていると思うので、個人的にはキライではない。栗山千明とか気づかなかった。(もともと声はあまり気づけない)
 キャラクターデザインは、NARUTOっぽさが強すぎる気もするが、ペタっと塗られた線が少ないが情報の多い絵で、個人的にはとても好きな系統。
 主人公の幼さを出すためか、顔がぽってりもっちりと書かれているが、それも含めて大人の世界と子供の世界の対比になっていて良かったと思う。
 黒髪おかっぱ眼鏡はそりゃ単純にかわいい記号山盛りでかわいいしね。押井作品で女性キャラかわいいってめったにない。


 CGは一目でCGとわかる感じで、そんなにセルと馴染ませる気がないというか、そこはもうちょっと馴染ませて欲しいなと感じたが、イノセンスで食傷した時ほどに露骨ではなく物語をジャマすることはない感じ。

 編隊飛行の距離があまりにも(望遠にしても)近かったり、ティーチャー機がいくらなんでもそれはねぇという軌道で飛んだりするのだけども、それは映像のわかりやすさを考えれば仕方がない範囲と感じる。

 あとまぁ編隊はショーアップされた戦闘なんだからああであるべき。



 結局、イノセンス以降の押井作品を見ていると、もののけ姫以降の宮崎駿作品を見ているような「もうストレートな物語は作れない立ち位置」に立った人の作品がどうなるか。みたいな実験フェーズに見える。

 宮崎駿が、あの風の谷のナウシカのご都合主義ラストを経て、ご都合主義ではダメだともののけ姫のラストを撮った時「しかしこれ面白いのか?」と感じた人はそれなりに居たと思う。
 その後の宮崎駿というのは、ストーリーはわけわからぬ観念的なものかそもそも無いものになり(トトロとかポニョとか)それじゃ耐えられない観客に対し「無茶苦茶気持ちの良い動き」で2時間を満足させるという手法になったと思っている。

 押井の映画というのは、宮崎的な動きの気持ちよさで持たせるタイプではないので、レイアウトとガジェットと観念的な会話でマを持たせていくのだけども、観念的な会話は行き過ぎると音読では意味がわからない(漢字を読まないと掴みにくい)上に、それが本当に面白いかどうかわかったもんじゃない(聖書や哲学書の引用で楽しめるか的な。エッセンスだけならまだしもそれを2時間使って楽しいかと)し、レイアウトは相当画面に集中してないと面白くないし、魚と鳥のモチーフが云々なんてのは押井作品を片っ端から見て蓄積してないと面白くない。「虚構と現実」「繰り返される日常と非日常」「あいまいな物語」そういった毎度のモチーフも繰り返せば流石に飽きる。このネタで何本映画とるだそろそろ限界じゃないか。

 そういう風に思っていたし、イノセンスは事実まったくそのままの映画に感じたので押井熱も随分冷めた。

 一週回ってスカイクロラではそれらのモチーフそのままに比較的わかりやすいメッセージを乗っけて、若者の活躍を描いた(もしかして若者主役って初めてではないか)。
 なんか、グツグツと同じ具財を入れて煮詰めていた鍋の上澄みだけを掬いだして塩コショウで味を調えた感じ。
 いままでの映画数本が煮詰まってゴテゴテだっただけに、久しぶりの澄まし汁は、オレには美味しくいただけました。みたいな感じ。



 いやたいした疑問ではないですが。
 ビールの王冠、あれどうやって外してるの?

ワークエリア
スポンサーリンク
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
COPYRIGHT © 2004 POWERED BY FC2 ALL RIGHTS RESERVED.