島国大和のド畜生
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人を嫌うな。やった事を嫌え。
 以後私見。友人の子供と話した内容。


 誰が言ったかより、何を言ったかの方が重要だ。
 そんなこたぁねぇと思う。
 感動的な台詞も、嘘つきな人が言ったなら感動も薄まる。
 資格のある人と無い人なら、その資格に関することなら誰の言う事を信じるかは聞くまでも無い。
 誰が言ったか判らない言葉に乗せられるかどうかは、自分で判断すべきだ。

 しかし逆もある。

 死ぬほどキライな奴でも、いい事をしたならそれは評価すべきだろう。
 いけすかないに程があっても、車にひかれそうな子供を助けりゃリスペクトする。
 大好きな奴でも、やったことが不味ければ、やった事を批判する。


 前段と後者の差は、「言ったか」「やったか」だ。
 結局人を評価するのは「何をやったか」であって、何かを言う事は誰だってできる。

 「言った事」なんて中身が無いからどうでもよくて「やった事」は重要だと。

 例えば、野田だろうが鳩山だろうが、正しい事を進めるならば、他の全てがイケすかなくても「その行動は」リスペクトするよ。
 パパでも無ければママでもないので「全人格と行動を伴って正しい」必要なんかコレっぽッチも感じない。
 優秀な政治家が私生活が良くなかったとして、政治家としての評価は落ちない。
 天才的芸術家が学歴無くても関係ないだろう。

 仕事や、学校もそうで、俺はこの人キライだとか、この人と仕事したくないとか、思う必要は無い。
 仕事だったら友達になろうってんじゃないんだから、全人格的に賛同できなきゃいけないわけじゃなくて、技術を欲しい形で提供してくれりゃそれでいいし、仕事を出来る形で振ってくれりゃいい。学校の友達なんか、学校出ても付き合いが残ってるのは本当にわずかだ。好き嫌いじゃなくて忙しさに飲まれて接点がなくなってしまう。
 それに正直言えば友達だって、全人格的な赦しを互いに与えあう必要はないだろう。
 かかわりあいたいところだけかかわりあえばそれでいいんじゃないのかな。漫画やドラマに出てくるような人付き合いは現実にはそうは出会わない。

 意図的に話がズレたけども。この辺で戻す。

 人は「何を言ったか」より「何をやったか」で評価すべきで、「何をやったか」は単独で評価すべきと思っている。
 いいこと10個悪い事20個やってたとして、いい事10個は非難されるべきではないし、相殺すべきでもない。
 悪い事20個の利益によってできたいいこと10個ならそれは分けて考えるべきでは無いが、同じ人がやった以外に接点が無いなら、分けて考えるべきだろう。
 あんまり個人単位で評価しても好き嫌いを作ってもいいことなんて無いと思っている。



 みたいな話。
 まーこれは、なんだ、学校でソリが合わないみたいな話がもとだったんだけど。
 あちこちに話が飛びまくったので、文章にするとオチないな。
 でもねー、あいつ嫌い、ってのは行動がキライなだけだだ、個人じゃねぇ。と思うとずいぶん気楽になる。
 すべての行動がキライなやつは、普通に距離置くしかないけどね。

 自分だって完璧超人ではないんだから、評価基準はみながそういうぐらいに持ってるほうが、世の中いい方向にころがるんじゃないの。ぐらいの軽い、軽いキモチで。

2012/03/03(土) 12:06:18| 固定リンク|日記| トラックバック:0 | このエントリーを含むはてなブックマーク|
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